鬼庭左月って役だった


いかりや長介死去のニュースは事実を知った後、色々なサイトでエピソードやら経歴を読み流してるうちに少し目頭が熱くなりました。僕は77年生まれで、恐らく最後の最後のドリフ世代なんですが(8歳のときに番組終了。でも不思議とリアルタイムで見た記憶が結構ある)、俳優業へと活動の場を移してすぐの頃のいかりや長介が印象に残っています。


最近何かと話題の渡辺謙が主演していたNHK大河ドラマ独眼竜政宗」に、いかりや長介も出演していました。おばあちゃん子だった僕は祖母の横でこの頃の大河ドラマを全部見ていたんですけど、いかりや長介伊達政宗を支える老臣みたいな役でね。なんか途中で政宗を庇って討死するストーリーだった気がする。


幼心に「いかりや長介=ドリフターズ」という図式はしっかり刷り込まれていたらしく、「おいおい、この人は人を笑わせる役じゃねえのかよ、死ぬのかよ」と動揺したのを覚えています。あの頃はドラマの中で敵に切られた挙句にうちの祖母にまで「この人はドラマに出られる顔とちゃうねえ」と切り捨てられていた長さんですが、その後はどんどん味が出てハリウッドで言うところのモーガン・フリーマンみたいな使い方をされる俳優になりました。僕より下の年齢層になると、完全に俳優としての認知なのかも知れません。


それにしても最高視聴率が50%超、13年間の平均視聴率が30%というのは化け物ですよね。この間最終回を迎えた「白い巨塔」が38%でニュースになってましたけど、いくら時代が違うとはいえ、毎週土曜日にそれと同じ数字を軽々叩き出していたわけで。まさに一時代が終わった観があります。


少し話が飛んで、「白い巨塔」といえば山崎豊子ですが、昔聞いた話が本当ならば、うちの母親は一時期この人のアシスタントのようなことをしていたらしいです。母親が学生のときですから、もう遥か昔の話ですが、当時山崎豊子に「アシスタントを取るなら母校から」という希望があって、大学内だか何かに募集が出ていたのに応募した、という話を聞いたことがあります。山崎豊子は無茶苦茶性格が悪くて全くそりが合わず、こき使われた挙句に胃を壊してすぐ辞めたらしいですが。


白い巨塔だかなんだか知らないけど、あの主人公の医者より山崎豊子のほうが嫌な奴だよ」といったふうなことを、普段余り人の悪口を云わない母が何度も僕に云うので、この話は覚えてしまいました。どうもうちの家系は一度嫌いになったものを偏執的なまでに嫌い抜いて他人に広めて回る質があるらしく、母の母である前出の祖母も、終生「アンチ・アメリカ」を貫いて往きました。


彼女の実家は捕鯨が盛んであった和歌山の大島にあって、網元であったのに捕鯨が規制されたのをきっかけに家産が傾いてしまったので、「昔は捕鯨目的で日本に開国を迫ったくせしやがって、捕鯨自粛とはなにごとだ」ということであったようです。まあ、何時代の話だよという感じですけれど。テレビにアメリカ人が映るとパチンとスイッチを切ってしまう徹底ぶり。


しかし、そんな祖母の一番の好物はピーナッツバターでした。輸入物(もちろんアメリカ産)の、あの口の中の水分を全部持って行ってしまうようなピーナッツバターを、毎朝パンにたっぷりと塗りたくっては、「これを考えた人は偉いねえ」と呟く自己矛盾。僕の家族は皆、祖母に「アメリカ人が考えたんだよ」と言う事を我慢することでやさしさを磨きました。或いは、口の中にピーナッツバターが詰まっていて、ツッコミを入れる水分が無かったのかも知れない。


いかりや長介から僕の祖母まで、随分話が飛びましたが、僕が今日いちばん書きたかったのは、つい今しがた気が付いた衝撃の事実として、うちの祖母はいかりや長介に似ていたということです。もう亡くなって5年になりますが、生まれてこのかたずっと誰かに似ている似ていると思ってきました。それがわからなかった。今日、日記書いてて気づいた。長さんだ。そっくりだわ。


これは非常に重大かつ致命的な発見であって、今はまだ大丈夫ですが、多分あと5年くらいすると、僕の中で祖母の顔の記憶が薄らいで、「おばあちゃん」をイメージした瞬間、僕の頭の中にはいかりや長介の顔が浮かぶに違いないわけです。えらいことです。とんだことに気が付いてしまいました。


や、今もダメだ。さっきから長さんの顔しか浮かんでこない。ダメだ、こりゃ。