あるがまま裸

『Let It Be... NAKED』買ってきました。
言葉のマジックというか、NAKEDと書くといかにも生っぽい音源を手を加えずにリリースしました!という印象を受けるわけですが、実際には音がクリアに聞こえるようにかなり編集が加えられています。
確かにフィル・スペクターが色々手を加えた部分を削いだ...という意味ではNAKEDと言えなくはないものの、正確には1969年当時の音を21世紀の「NAKED」という語感が与える印象に近い音へと修正編集した、という感じ。


まあ、ファンなら大喜びのアイテムなんだろうし、これまでThe Beatlesを古臭いとか音質が悪いという理由で敬遠していた人でも、現代的な観点で「音がクリア」になっているので、聴き易いアルバムなんじゃないでしょうか。どちらのバージョンが良いとか、当時どちらでリリースすべきだったとか、30年後にそんなこと幾ら語ってもナンセンスだろ。当時はこの「NAKED」とやらの形に「編集」する技術が無かったわけだから。...と、言葉尻だけ捉えたときのこの矛盾ぷりがなんとも。


今回このアイテムのリリースに際して僕が個人的に期待しているのは、日本盤がCCCDでのリリースということで、これを機会にまたCCCDに関する議論が盛り上がるというか、再整理されることです。


ただ、僕は余りCCCDに対して積極的に反対とか、そういうオピニオンを率先して発していこうという気持ちはありません。
確かにCCCDには色々問題もあるし、これが流通し続けるのは個人レベルでも迷惑な話ではあるんだけど、こういう議論はCCCDに対してもっと切実に金銭的な異論のある人、つまりお小遣いが少なくてコンポが壊れたら泣くどころの騒ぎじゃない(けどインターネットは常時接続)系の若人が引っ張っていくべきだと思うし。


ぶつぶつ文句を言いながらも月間5万円とかCDを買ってしまう僕たちのような成人アディクツユーザーはレコード会社にある意味舐められとる言いなりのお得意様ですから。鷹揚なもんです。
正直こんな不完全で劣悪な商品がCDを名乗って流通するのは許せない!的な義憤よりも、まあCCCDでどうしても欲しいのがあったら安いプレイヤーで再生して壊れたら新しいプレイヤー買えばいいよっつー面倒臭さ全開の意見が正直なところ。


要するにこの問題の難しさは1円や1枚のCDの重みが十人十色であるユーザー同士が、1円や1違法コピーの重みが均質でがっちりとスクラムを組もうとしているカンパニーサイドに対して何処まで意思統一と共同戦線を張れるか、という点にあるんだと思います。
家を買うときの消費税が邪魔だと思っている奴と、野菜を買うときの消費税が家計を圧迫すると思っている奴と、場合によっては脱税方法を知っている奴が一緒になって消費税反対を叫ぶような。そりゃばらけるわな。


寧ろCCCDに関して音質やプレイヤーに与える負荷などの劣悪性以上に自分が気持ち悪く感じているのは、反対を唱える人間同士の前提条件と論拠が完全に二分されているのに、反対を叫ぶ者同士がそれに気付かないか、意図的に気付かないフリで無視を決め込んでいるというディベートの不健全性。


つまり「CDという対価の発生する商品としてこれは余りに劣悪だ。プレイヤーが壊れたらどうする」という金銭・品質面から来る消費者としての怒りと、「俺の好きなあのバンドまでがCCCDに屈した」といった心理面から来るファンとしての怒りが良くわからない基準で混同されたまま反対という大きなベクトルだけが強調されて、結果的に「CCCDを認めるなんて見識を疑うね」といった排他的な結論と自己満足だけが生まれているような状況が実にバカバカしい、と思う。


これは結局のところ、CCCDがどうのという問題ではなく、我々はCCCDの問題が表面化する今日まで、アーティストというのは「音楽」を作っている人なのか、「音楽が詰まったCD」という商品を作っている人なのかというエッセンシャルな問いに対して心理面で統一された明確な区分を持たなかったということが暴露されているんじゃないかと。


今までCCCDでリリースされたどのアーティストよりも大きくて年代的に幅広いファン層を持ち、尚且つCCCDどころかCDすら無い時代に活動していたビートルズのアルバムがCCCDでリリースされることで、この辺りの区分化に新しい認識や議論が生まれて何か方向性が変わるといいな、と思います。


CCCDへの賛成反対はさておき、僕たちが愛してやまないアーティストとは一体何をクリエイトしている人たちなのか、何処までの作業にレスポンシビリティを持つ人たちだと自分の心の中では解釈しているのか。その辺りを一度自分の胸に問いかけてみるのも面白いんじゃないでしょうか。


参考リンク → 音楽配信メモ CCCD関連意見特集