daboyさんの日記を読んで

なんだこのタイトルは。小学生かよ....。


「惨めだから音楽を聴く」という視点は僕にはない。


まあ何をもって惨めと呼ぶかにも個人差があるのだろうけど、さしあたって社会人である自分にとって惨めな状態とは経済的に逼迫した状況を指すのだろう、と勝手に解釈して話を進めてみると、本当に惨めならCDすら買うことができないわけで。


昨年金銭的に余裕が出来てアルバムを買い漁った僕は惨めとは程遠い人生にある、と思いたい。


逆に他人の生み出した音楽に投資する余裕がない人は自分で歌って音のある人生を送っているわけだから、稼げば稼ぐほど僕は音楽を生み出せる音楽的に逼迫した状況からは遠ざかっていくのだ。


これはこれで惨めなのかも知れない。
かつてプレイヤーであった人間なら誰でも一度は心の中で密かに呟いたことがあるであろう「俺は音楽に全てを賭ける」的な素敵で無敵な寝言は遠い日の花火になり、消費財としてのCDが棚を生めていくのに反比例して「音楽を愛しています」なんて科白を吐いて音楽と真摯に向き合う暇は消えた。


そこで新しい趣味を見出すことになる。
音楽を聴いて感じたことを文章化する、という楽しみだ。


こうして音楽サイトまで作ってレビュウを掲載しているわけだから、さぞしまけんは充実した音楽生活を送っているはず、毎日色んな音楽と出会って感動しているに違いない。そう思われるかも知れないが、実態は全くの逆ってこと。


初期衝動? そんなもの半ズボンと一緒に捨てて来たぜ。


中学生の頃に初めてロックに触れたときの感動と同じものを今この年になって求めるほうが土台無理。良い音楽を聴いた感想を素直に文章にしようとすれば自然と古い音楽ばかりを選んで「総括」の悪名を蒙るこのご時世では音楽を聴くことと文章化することを差別化して後者の新鮮味に縋る程度の残滓が精一杯の「ロック」でございます。


クロスレビュウという他者利用。


最近やっと批評というのは読み物でも自己PRの場でも無いということが実感できるようになった。これは文字通り音楽を通して自分をRE-VIEWする行為であって、対象に感動したりする必要は全く無いのだ。「あんた本当にそのレビュウしてる音楽のこと好きなんですか」


んなわけないじゃん。


感動したものばかりレビュウしていたら全てが絶賛で何の面白味も無い。これは読み物としての面白味ではなく、自分をRE-VIEWする過程としての話。音楽としては何の感動も無かった、憤りすら感じない平坦な消費財であったとしても、それを購入するほど必要としていた自分を見つめ直す切欠になるなら、僕にとってこの場末の無料空間での批評は有効というわけだ。


さすがに其処まで冷淡にはなれないから、一応心を動かされたものを文章化の対象にしようとする。


すると古いものばかりがリストに上って、やっと見つけた新譜はベストアルバム。他人の感情とのタイムラグを突かれて総括するなのシュプレヒコールが吹き荒れる中で金にものを言わせて買った高級サウンドシステムを使い、ひとり寂しく10年前に手に入れた傷だらけのマスターピースを夜な夜なリプレイ。こんなものAIWAのラジカセで聴いたって何の変わりもないのにさ。


....そんな金持ちに、僕はなりたい(オチです、姉さん)。